その8「三津の渡し船」

以前、正しくは松山市道高浜2号線だとお教えしましたが、この渡し船について今回は触れてみます。
起源は、応仁元年(1467年)、湊山(現港山)城主の河野通春が、城兵の糧食は地元の民から買い上げよとし、米、野菜、魚などを調達するために、三津と湊山を船で結んだのが始まりです(朝市の記事でも触れましたね)。江戸時代になって、三津は松山の外港となり、諸国の船が頻繁に出入りするようになります。これに伴い朝市も本格的なものになり、渡し船も重要度を増し、番所の管理下におかれて運行するようになります。
大正の頃までは、「棹」で操られ、その後「艪」で漕がれるようになります。写真は昭和40年のものです。
昭和40年代の三津の渡し船
昭和45年からエンジン付きの船に変わり、現在に至ります。毎日、朝7時から夜7時まで、両岸80mを何度となく行き来し、乗りたい人を見つけると、向こう岸にいても迎えにきてくれます。年中無休です。私たちも、夏休みと言えば梅津寺か黒岩で毎日遊んでいたものですから、そのために必ず利用していました。
船長(船頭さん)にも、すっかり常連扱いされてました(笑)。今でも頑張っておられて、何十年もこの渡しを見守ってきた方なんですよ。

※注 黒岩は遊泳禁止です。遊ばないように。